黒田明伸

日本では円というただひとつの通貨が流通している。でもボリビアのような国では、普通の買い物は現地のペソを使用していても、ちょっと大きな物を買うときはアメリカのドルを使用したりする。そういったお金の棲み分けというのは人類の歴史を通してずっと多数派だ。実際、120~130年前まで、人類の9割くらいは様々な多くのお金を使い分けていた。たとえば18世紀末のミラノでは、価値の違う金貨と銀貨が、51種類も流通していた。 中国では特に、お金の制度が複雑だった。20世紀の初め頃には、人々の使う貨幣は全くバラバラで、一つの原理に支配されるわけではなく、ローカルに決まりがあった。都市単位、職業単位で、お金が足りなかったら勝手にお金を作ったり読み替えたりすることが出来た。ものすごい自由社会だったのだ。ただし、普段の生活に使うお金はバラバラでも、政府に納める税金のための貨幣単位はほぼ統一されていた。そういうバランスが上手くいっていたからこそ、中国という社会は膨大な人口を抱えていても分解せず、むしろそれらを包括できるような柔らかい構造ができていったのだ。1930年頃の山東省のある農村市場では、地元の農民は普段銅貨で商売しているのに、青島からやって来る商人は銀貨を使っていた。だからそこでは、銀貨を銅貨に替えるのが商売になった。実際、その市場では穀物を売る人の次に、両替屋が多かったという。